遺伝子発現量の細胞間多様性

 細胞はゲノムDNAから遺伝情報を読み取り,必要に応じて,必要な場所で,適切な遺伝子を適量発現させ,遺伝子発現産物であるRNAおよびタンパク質を産生します.遺伝子発現産物は細胞の様々な機能を担っているので,その発現量によって細胞の性質が決まるといえます.


 細菌などの単細胞生物は,細胞間で同じゲノム配列を持ち,ほぼ同じ環境下でも,細胞間で遺伝子発現産物量に著しい差があり,異なる環境応答(表現型多様性)を示すことが知られています.多くの単細胞生物は,細胞分裂によってほぼ同じゲノム配列をもつ娘細胞をつくりますが,すべての細胞がほとんど同じ表現型を示す場合,急速な環境変化に耐えられず、死滅する可能性があります.しかし,表現型に大きな多様性がある場合,急速な環境変化に対して生き残る細胞が増加する可能性があることから,単細胞生物の生存戦略として遺伝子発現量の細胞間多様性が重要と考えられます.


 単細胞生物に比べ,多細胞生物では細胞間に様々な細胞間相互作用があり,急激かつ極端な遺伝子発現量の多様性が現れにくいと考えられます.しかし,細胞分化という不可逆的な表現型の多様性が生み出される過程で,一過的な遺伝子発現量の多様性が誘引され,それによって細胞運命が決まることが知られています.


 遺伝子発現量の多様性(表現型の多様性)が生じるのは,細胞の遺伝子発現過程(転写因子の確率的活性化,転写因子の結合乖離,RNAの転写,RNAの分解,RNAの輸送,タンパク質の翻訳,分解など)や微小環境での化学反応の確率性に起因します.さらに,遺伝子発現制御ネットワーク(転写因子間での発現制御ネットワーク),ヒストン修飾等のエピジェネティックな制御等によって細胞ごとの多様性が固定化されます.多細胞生物における細胞分化はその最たる例です.遺伝子発現過程において,特に転写バーストと呼ばれる現象が遺伝子発現量の細胞間多様性の誘引に寄与している可能性が示唆されています.