研究内容
私達は以下の3つのテーマを主に行っています(ここに書いていないテーマもいっぱいやっています)
1.細胞増殖の制御機構とがん
細胞は「細胞周期」と呼ばれる増殖サイクルを通じて分裂し、その数を殖やしていきます。しかし細胞増殖は無制限に起こっているわけではありません。多くの場合、細胞はある程度増殖すると、増殖サイクルのG1期から逸脱し、静止期(G0期)と呼ばれる状態になります(図1)。
このG0期とは、単なる静止状態ではなく、ここから分化・老化・死といった重要な生命現象の入り口となります。またG0期から再び増殖サイクルに入って増殖を開始する場合もあります。つまりG0期は増殖・分化・老化・死といった細胞の運命決定の分岐点なのです。
このG0期への出入りは、医学研究においても重要な意味を持っています。例えばがん細胞では、G0期への脱出が妨げられており、常に増殖サイクルに入っています。これががん細胞のがんたる所以であるという人もいます。
一方で神経細胞や心筋細胞のように終末分化を迎えた細胞は、生涯を通じてG0期から二度と増殖サイクルへ進行することはありません。すなわち再生能力が喪われているということです。
このようにG0期への出入りはがん・脳卒中・心筋梗塞という日本人の三大死因に密接に関係しています。私達は、このG0期への出入りという観点から、がんの制圧と神経等の再生という難問に挑戦しています。
私達はG0期から増殖サイクルに戻るときには、p27というCDK阻害因子をSkp2(ユビキチンリガーゼ)が分解することが必要であり、逆にG0期へ出るときはc-Mycという転写因子をFbw7(ユビキチンリガーゼ)が分解することが大切だということを示してきました(図2)。
これらの系の異常は、ノックアウトマウスにおいてがんを発生させ、また人間のがんでもこれらのシステムに異常が起こっていることが非常に多いことが示されています。私達は、p27-Skp2系とMyc-Fbw7系について世界で有数の研究室であり、今までに多くの重要な研究成果を挙げています。
2.分化制御(特に神経)
神経細胞は非常に特殊な形態をしています。普通の細胞がせいぜい数十マイクロメートルなのに対し、神経細胞は全長で1メートルを超えるものもあります。神経細胞は非常に長い突起を作り出す能力があるのです。
では、なぜ神経細胞だけにこのような能力が備わっているのでしょうか?きっと神経細胞だけに発現している分子が、それを制御しているに違いありません。もしその親玉分子(マスター分子)があるなら、それを神経細胞以外の細胞に発現させれば、神経のような突起ができるはずでしょう。
私達は偶然のきっかけからそのような遺伝子を見つけました。全く別の研究を行っている最中に、神経細胞にのみ発現しているある遺伝子をHeLa細胞(子宮がん由来細胞)に無理やり発現させると、神経突起に大きさも形もそっくりな太い突起が形成されていたのです(図3)。その突起はフィロポディアとかマイクロスパイクとか呼ばれている微細な突起構造ではなく、微小管の束を中心に有し、末端は神経成長円錐のように薄く平べったく広がり、盛んにラッフリング(波打ち運動)を起こしながら、伸長していくもので、まさに神経突起と瓜二つでした。
私達はこの分子をプロトルーディン(Protrudin:“伸長する”という動詞「protrude」より)と名付けました。この分子は大変不思議な性質を持った分子です。プロトルーディンは膜タンパク質であり、小胞上に存在しますが、神経突起を形成する際には劇的に細胞内を移動します。細胞表面および小胞体膜に広く分布しているプロトルーディンは、神経成長因子(NGF)の刺激が入ると、すぐにリサイクリング・エンドソームという場所に集積し、その後神経突起先端へと運ばれていきます。
その分子機構も次第に明らかになってきました(図4)。NGFがNGFリセプターに結合すると、その信号がMAPキナーゼを介してプロトルーディンをリン酸化します。このリン酸化によってプロトルーディンはRab11(GDP結合型)に結合するようになります。Rab11はリサイクリング・エンドソームに多く、小胞ソーティングを制御する大切な分子です。どうもプロトルーディンとRab11の結合が、細胞膜上の特定部位に小胞を選択的に輸送するシステムにつながっているようです。
プロトルーディンについては、まだまだ面白い性質が見つかっています。偶然とはいえ、私達が発見した分子ですから、将来的に有名な分子になればいいと願っています。
3.プロテオミクスを用いたタンパク質翻訳後修飾情報の網羅的解析
私達は、ユビキチン化酵素やリン酸化酵素を研究してきましたので、それらの酵素がどんな標的(基質)を認識しているのかという点には、常に興味がありました。しかしながら、酵素から基質を探索する一般的な方法はありません。
しかしながらゲノムプロジェクトの進行により、酵素の種類は増える一方です。プロテインキナーゼやユビキチンリガーゼは各々数百種類以上あると推定されていますが、そのほとんどはオーファン(基質が未知)です。また私達がよく知っている酵素(MAPキナーゼやサイクリン依存性キナーゼ)の基質もほとんどは生理的な基質がどうかは不透明ですし、基質全てを知っているわけでもありません。
私達は10年前からある仮説を立てていました。それは「全てのタンパク質が定量できるようになれば、この問題は解決する」ということです。例えば、あるプロテインキナーゼのノックアウトマウスがいるとします。このノックアウトマウスではキナーゼがないので、その基質タンパク質はリン酸化されないはずです。全てのリン酸化タンパク質の一覧表(プロテオームと呼びます)があれば、正常マウスとノックアウトマウスでリン酸化プロテオームを比較することにより、このキナーゼの基質は明らかになるはずです(図5)。
酵素から基質を探索するといった、生化学者の夢とも言うべき誇大妄想を私達は10年間かけて追ってきました。現在、私達の研究所が保有している質量分析計は12台(もうすぐ13台目が入る予定です)あり、恐らく大学機関としては世界有数の規模を誇ります。しかしこれほどの機器があっても、なかなか全プロテオームの把握は容易なことではありませんでした。
しかし、ようやくこの1、2年の間にリン酸化プロテオームの構築に関して、大きな進歩があり、その全貌を掴むことにほぼ成功しました。これができると、いろいろな場面でのリン酸化状態を網羅的に知ることができます。このような研究は“バイアスがかかっていない(non-biased)”研究と言われ、意外な結果のオンパレードです。私達の研究テーマである細胞周期は、リン酸化とユビキチン化というタンパク質翻訳後修飾が織りなす美しい舞台ですが、その役者の全員の顔は今まで見えませんでした。しかしこれからは違います。今後は、私達の手中にある役者リストに基づき、各役者の果たす役を研究していくネットワーク型研究に推移していくでしょう。
優れたプロテオミクス技術を持っていることは、生命科学研究の可能性を飛躍的に高めます。プロテオミクスは分子生物学とは異なり、高価な機器と高度な技術を要求される分野ですので、おいそれと誰でもできるわけではありません。このシステムと技術を有していることは、大変大きなアドバンテージになるのです。






